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東都三ツ股の図|歌川国芳作 東都三ツ股の図


東都三ツ股の図
歌川国芳が描いた「東都三ツ股の図」のスカイツリー

やりすぎ都市伝説で紹介

ウソか分からない都市伝説

千原ジュニアによると
2008年にも、「未来の墨田」という絵を小学生たちが書いたときに、「スカイツリーを予言か」と騒がれた絵があった。

真ん中の高い塔がそれである。
この絵が描かれたのは1979年。

実は、さらにそれより古い時代にスカイツリーと思しき絵が描かれたものがあった、というのだ。
テレビメディアへの初出は2011年2月。

それは、歌川国芳の「東都三ツ股の図」だ。
1831年(天保2年)頃の浮世絵とされるこの作品。


東都三ツ股の図

東都三ツ股の図

●浮世絵とスカイツリーの奇妙な関係

江戸時代の末期に歌川国芳が描いた絵
「東都三ツ股の図」

深川あたりから見て書かれた絵

実際に現在、描いたと思われる場所から撮影したものには同じ場所に同じように東京スカイツリーがそびえている

横にある低い方は火の見櫓

江戸城より高い物はこの時代絶対建ててはいけないので、あの塔はなかった筈

「東都御厩岸之図」では右の人物が持った傘に1861番と書かれている

実は歌川国芳が亡くなった年が1861年

偶然とは思えない一致

東都三ツ股の図

東都三ツ股の図
東都三ツ股の図』 東都三ツ股の図 スカイツリー
これ不思議。江戸中期の浮世絵「東都三ッ股の図(歌川国芳:うたがわくによし)」にスカイツリーらしきものが描かれています。手前に腐食防止のために小舟の底を燻す2人の人物、永代橋からつづく左手の風景に天にそびえ立つ塔が見えます。時代を考えるとやはり不自然な高さに思えますね。相撲やぐらや井戸掘削設備をデフォルメしたとの説もあるようですが、それにしても…。
念のため、画像検索や他のサイトで掲載されている「東都三ッ股の図」をいろいろ見ましたが、全てにこの高い塔が描かれているため、加工されたものではないようです。この場所はまさしく今スカイツリーが建設中のエリアということで、国芳が風景を描きながら未来予想図を幻視した、なんて楽しい空想がひろがります!

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